生き方

| Title | Outline |
|---|---|
| Author | 稲盛 和夫 |
| Published | 2004/7 |
| Read | 2019/7 |
プロローグ
試練を「機会」としてとらえることができる人――そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。
思いを実現させる
考え方を変えれば人生は180度変わる
人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力
つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の“掛け算”によって得られるものであり、けっして“足し算”ではないのです。
能力とは才能や知能といいかえてもよいのですが、多分に先天的な資質を意味します。健康、運動神経などもこれにあたるでしょう。また熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素。どちらも0点から100点まで点数がつけられます。 掛け算ですから、能力があっても熱意に乏しければ、いい結果は出ません。逆に能力がなくても、そのことを自覚して、人生や仕事に燃えるような情熱であたれば、先天的な能力に恵まれた人よりはるかにいい結果を得られます。 そして最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。考え方という言葉は漠然としていますが、いわば心のあり方や生きる姿勢、これまで記してきた哲学、理念や思想なども含みます。 この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるからです。0点までだけではなく、その下のマイナス点もある。つまり、プラス100点からマイナス100点までと点数の幅が広いのです。 したがってさっきもいったように、能力と熱意に恵まれながらも考え方の方向が間違っていると、それだけでネガティブな成果を招いてしまう。考え方がマイナスなら掛け算をすればマイナスにしかならないからです。
では、「プラス方向」の考え方とは、どんなものでしょう。 つねに前向きで建設的であること。感謝の心をもち、みんなといっしょに歩もうという協調性を有していること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、やさしい心をもっていること。努力を惜しまないこと。足るを知り、利己的でなく、強欲ではないことなどです。
求めたものだけが手に入るという人生の法則
「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、そのとおりの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うようにならない人生も、実はその人が思ったとおりになっているといえます。
細心の計画と準備なくして成功はありえない
以前、私はよく新しい考えやアイデアを思いついたとき、「こういうことをひらめいたが、どうだろう」と幹部を集めて意見を聞くことがありました。そういうとき、難関大学を出た優秀な人ほど反応が冷ややかで、そのアイデアがどれだけ現実離れした無謀なものであるか、ことこまかに説明してくれることが多いのです。 彼らのいうことにも一理あり、その分析も鋭いものなのですが、だからといってできない理由ばかりをあげつらっていたのでは、どんないいアイデアも冷水を浴びせたようにしぼんでしまい、できることもできなくなってしまいます。 そういうことが何度かくり返されたあと、私は相談する相手を一新しました。つまり新しく、むずかしい仕事に取り組むときには、頭はいいが、その鋭い頭脳が悲観的な方向にばかり発揮されるタイプよりも、少しばかりおっちょこちょいなところがあっても、私の提案を「それはおもしろい、ぜひやりましょう」と無邪気に喜び、賛同してくれるタイプの人間を集めて話をするようにしたのです。むちゃな話だと思われるかもしれませんが、構想を練る段階では、実はそれくらい楽観的でちょうどいいのです。
すなわち 「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」 ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。
あきらめずにやり通せば成功しかありえない
できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。 まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。
毎日の創意工夫が大きな飛躍を生み出す
平凡な人材を非凡に変えたものは何か。一つのことを飽きずに黙々と努める力、いわば今日一日を懸命に生きる力です。また、その一日を積み重ねていく継続の力です。すなわち継続が平凡を非凡に変えたのです。
継続と反復は違います。昨日と同じことを漫然とくり返すのではなく、今日よりは明日、明日よりは明後日と、少しずつでいいから、かならず改良や改善をつけ加えていくこと。そうした「創意工夫する心」が成功へ近づくスピードを加速させるのです。
どんなに小さなことにも工夫改良の気持ちをもって取り組んだ人と、そうでない人とでは、長い目で見ると驚くほどの差がついているものです。
原理原則から考える
考え方のベクトルが人生すべての方向を決める
この「人生の方程式」は、人並みの能力しかもたなかった私が、人並み以上のことをなして、世のため人のためにわずかなりとも役立つためにはどうしたらいいかと考えた末に見いだした方程式であり、その後、実際に仕事をし、人生を歩むうえで、つねに自分の生き方のベースとしてきたものです。
そのポイントは掛け算である点にあります。たとえば、頭脳 明晰 で90点の能力をもつ人がいたとします。しかし、この人がその能力を鼻にかけて努力を怠り、30点の熱意しか発揮しなかったとすれば、その積は2,700点にとどまります。 一方、頭の回転は人並みで60点くらいの能力しかもたない人が、「オレには才能がないから」と自覚して、そのぶんを努力でカバーしようと、90点を超えるような、あふれるほどの熱意をもって仕事に取り組んだとすれば、どうなるか。その積は5,400点。前者の才あって熱なしの人物よりも、倍の仕事を成し遂げられる計算になります。
さらに、そこに「考え方」の点数が掛け合わされます。この考え方がもっとも重要なのは、それが方向性も表しているからです。つまり考え方には、いい考えもあれば悪い考えもある。プラスの方向に向かってもてる熱意や能力を発揮する生き方もあれば、マイナスの方向へ向けてその熱意や能力を使う人もいるのです。
このように、人生の方程式は掛け算で表されるがゆえに、まず考え方が正しい方向に発揮されなければなりません。さもなくば、どれほどすぐれた能力をもち、強い熱意を抱こうとも、それは宝の持ち腐れどころか、かえって社会に害をなすことにもなりかねないのです。 後年、福沢諭吉が講演で語った一節にふれて、それが、この私の「人生の方程式」の正しさを裏打ちしてくれていると思ったことがあります。それはこういう言葉です。 「思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは 元禄 武士のごとくにして、これに加うるに小俗吏の才をもってし、さらにこれに加うるに土百姓の身体をもってして、初めて実業社会の大人たるべし」 実業の社会で、立派な人物たりうるための必要条件を――ほぼその優先順位に従って――述べた言葉です。すなわち哲学者のような深い思考、武士のような清廉な心、小役人が持ち合わせるぐらいの才知、お百姓のような頑健な体。これらがそろって初めて、社会に役立つ「大人」たることができるというのです。
現場で汗をかかないと何事も身につかない
人生では、「知識より体得を重視する」ということも大切な原理原則です。これは、いいかえれば「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。知っているだけで、できるつもりになってはいけないという戒めでもあります。
情報社会となり知識偏重の時代となって、「知っていればできる」と思う人もふえてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが、現場での経験なのです。
「好き」であればこそ「燃える」人間になれ
ものには三つのタイプがあります。
- 火を近づけると燃え上がる可燃性のもの。
- 火を近づけても燃えない不燃性のもの。
- 自分で勝手に燃え上がる自燃性のもの。
人間のタイプも同じで、周囲から何もいわれなくても、自らカッカと燃え上がる人間がいる一方で、まわりからエネルギーを与えられても、ニヒルというかクールというか、さめきった態度を崩さず、少しも燃え上がらない不燃性の人間もいます。能力はもっているのに、熱意や情熱に乏しい人といってもいいでしょう。こういうタイプはせっかくの能力を活かせずに終わることが多いものです。 組織的に見ても、不燃性の人間は好ましいものではありません。自分だけが氷みたいに冷たいだけならともかく、ときにその冷たさが周囲の熱まで奪ってしまうことがあるからです。ですから私は、よく部下にいったものです。 「不燃性の人間は、会社にいてもらわなくてけっこうだ。キミたちは、自ら燃える自燃性の人間であってほしい。少なくとも、燃えている人間が近づけば、いっしょに燃え上がってくれる可燃性の人間であってもらいたい――」 物事をなすのは、自ら燃え上がり、さらに、そのエネルギーを周囲にも分け与えられる人間なのです。 けっして、他人からいわれて仕事をする、命令を待って初めて動き出すという人ではありません。いわれる前に自分から率先してやりはじめ、周囲の人間の模範となる。そういう能動性や積極性に富んでいる人なのです。
どんな分野でも、成功する人というのは自分のやっていることにほれている人です。仕事をとことん好きになれ――それが仕事を通して人生を豊かなものにしていく唯一の方法といえるのです。
外国との交渉は常識より「リーズナブル」
とりわけアメリカでは、物事を判断するのに「リーズナブル(正当である)」という言葉がよく出てくることでした。しかも、その正当性や合理性のものさしとなっているのは、社会的な慣習や常識ではなく、彼ら自身がもっている原理原則や価値観でした。 つまり彼らは、自らの信念に根ざした確たる哲学、判断基準を確立していたのです。
心を磨き、高める
日本人はなぜその「美しい心」を見失ってしまったか
したがって、どのようにすぐれた能力も、それが生み出した成果も、私に属しながら私のものではありません。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使う。つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする。私は、謙虚という美徳の本質はそこにあると考えています。 ところが、その謙虚の精神が薄れつつあるのと並行するように、近ごろおのれの才を私物化する人がふえてきています。 とくに人の上に立ち、他の手本となるべきリーダーにその傾向が目立ちます。
リーダーには才よりも徳が求められる
ここでいう考え方とは、生きる姿勢、つまり哲学や思想、倫理観などのことであり、それらをすべて包含した「人格」のことでもあります。謙虚という徳もその一つに数えられるでしょう。 その人格がゆがんでいたり、邪なものであれば、いくら能力や熱意に恵まれようが――いや恵まれていればいるほど――もたらされる結果の「負」の値は大きくなってしまうのです。
人の上に立つ者には才覚よりも人格が問われるのです。人並みはずれた才覚の持ち主であればあるほど、その才におぼれないよう、つまり、余人にはない力が誤った方向へ使われないようコントロールするものが必要になる。 それが徳であり、人格なのです。
心を磨くために必要な「6つの精進」
- だれにも負けない努力をする 人よりも多く研鑽する。また、それをひたむきに継続すること。不平不満をいうひまがあったら、一センチでも前へ進み、向上するように努める。
- 謙虚にして驕らず 「謙は益を受く」という中国古典の一節のとおり、謙虚な心が幸福を呼び、魂を浄化させることにもつながっていく。
- 反省ある日々を送る 日々の自分の行動や心のありようを点検して、自分のことだけを考えていないか、 卑怯 な振る舞いはないかなど、自省自戒して、改めるよう努める。
- 生きていることに感謝する 生きているだけで幸せだと考えて、どんな小さなことにも感謝する心を育てる。
- 善行、利他行を積む 「積善の家に余慶あり」。善を行い、他を利する、思いやりある言動を心がける。そのような善行を積んだ人にはよい報いがある。
- 感性的な悩みをしない いつまでも不平をいったり、してもしかたのない心配にとらわれたり、くよくよと悩んでいてはいけない。そのためにも、後悔をしないようなくらい、全身全霊を傾けて取り組むことが大切である。
これらを私は、「六つの精進」としてつねに自分にいい聞かせ、実践するよう心がけています。文字にしてしまえば平凡すぎるほどの、このような当たり前の心がけを、日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから堅実に実践していくこと。大仰な教訓を額縁に入れて飾るばかりでなく、やはりふだんの生活のうちに実行していくことが肝要なのです。
うれしいときは喜べ、素直な心が何よりも大切
** 素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のこと** です。 人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身のうちに備えて絶えず働かせることなのです。
人を惑わせる「三毒」をいかに断ち切るか
たとえば、私たちは日々さまざまな事柄について判断を迫られています。そんなとき瞬間的に判断を下したことは、おおむね本能から(つまり欲望から)出てきた答えです。したがって相手に返答する前に、最初の判断をいったん保留して、ちょっと待てよとひと呼吸おく。 「その思いには、おのれの欲が働いていないか、私心が混じっていないか」 と自問することが大切なのです。そうやって結論を出す前に、「理性のワンクッション」を入れると、欲に基づいた判断ではなく、理性に基づく判断に近づくことができる。少なくとも思考プロセスにそのような理性的な回路を設けておくことは、欲を離れるためにきわめて大事なことだと思います。
人のあるべき「生き方」をめざせ、明るい未来はそこにある
一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。